【浦和宿二・七市場跡 】
中山道に面した慈恵稲荷神社の社頭に「市神様」と「市場定杭」が建てられています。
ここは、浦和宿で市(いち)が開催された場所です。
浦和の市は、毎月2と7の日に開かれており、月6回(2日、7日、12日、17日、22日、27日)
行われていたことから六歳市といわれていました。
明治・大正時代も六歳市は開かれ、昭和初期は農機具、食糧、日用品などが売られていたそうです。
始まりは定かではありませんが、豊臣、北条の岩槻合戦の時、星野親子(甚内・権太兵衛)が
秀吉側の武将浅野長吉(後の長政)の道案内を務めた。
その功により、権太兵衛は浦和宿の市場開設を許され、さらに関東市場取締役を命じられました。
市神と定杭を残す市場跡は、全国的にも例が少なく、近世の商業史を知る上で貴重なものです。
江戸時代、十返舎一九は「代ものを、積重ねしは 商人のおもてうらわの 宿の賑い」と詠み、
浦和の市の賑いを表現しています。
埼玉県さいたま市浦和区常盤1-5-19
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